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高木煙火の歴史

1921年 大正 10.11 初代高木喜作が岐阜県知事の煙火製造販売の許可を受ける
大垣市荒川町木之元にて創業
1925年 大正 14.10 代表に高木利助(二代目)が就任
1946年 昭和 21. 4 G.H.Qより煙火製造許可交付
1957年 昭和 32.11 岐阜県知事より優良煙火製造所として表彰
1959年 昭和 34.11 通産大臣より優良煙火製造所として受賞
1963年 昭和 38. 7 高木利助没、代表に高木利幸(三代目)就任
1973年 昭和 48. 5 大垣市島町643に工場移転
1975年 昭和 50.11 高木煙火株式会社設立
1992年 平成 4. 3 中国湖南省工場と技術契約締結
1996年 平成 8. 4 中国広東省工場と技術交流
2001年 平成 13.11 代表に髙木政幸(四代目)、会長に髙木利幸 就任
2022年 令和 4.1 代表に髙木大輔(五代目)就任
  • 歴史 大正14年6月23日
    岐阜県知事より、煙火製造販売営業許可が下りる。
  • 歴史 大正14年8月7日
    岐阜県知事より、火薬類製造所の使用認可が下りる。
  • 歴史 二代目 高木利助
  • 歴史 戦後の工場の玉張工室
  • 歴史 撮影年不明
    左から、平田源太郎、高木勇吉、高木利七当時の打ち揚げ従事者たち
  • 歴史 大正10年より昭和25年までの工場。当時は玉張り、玉詰め工室が兼用だった。
  • 歴史 昭和24年3月31日
    GHQより火薬類製造の許可が下りる。
  • 歴史 昭和35年10月の新聞記事
    高木利助が長年無事故で花火を製造したとして通産大臣表彰を受ける。 記事の中には、「利助の父親高木喜作がすでに花火づくりをやっていた」とある
  • 歴史 昭和35年10月の新聞記事
    高木利助が長年無事故で花火を製造したとして通産大臣表彰を受ける。 記事の中には、「利助は大正10年に安八郡三城村小野(現在の大垣市三城)の藤塚煙火工場に勤め、同14年丙種火薬類作業主任者資格試験に合格してから自宅付近に花火工場を建てた」とある。 そして、「事故を出さないためには、あわてないこと、後始末を完全にすること、粗製乱造はしないこと」とコメントしている。
  • 歴史 荒川の煙火火薬庫
  • 歴史 高木利助(右)と山本長三(左)。打ち揚げ現場にて
  • 歴史 昭和28年5月
    高木利助(右)と高木利幸(左)。荒川の工場にて
  • 歴史 高木利雄
    この人が、高木利幸らを厳しく指導した。
  • 歴史 高木利幸
  • 歴史 久野五郎
  • 歴史 早打ち加工をする高木利幸(左)と妻の千代子(右)
  • 歴史 玉を乾燥させる高木千代子
  • 歴史 玉張り風景
  • 歴史 玉張り風景
  • 歴史 高木利幸
    打ち揚げ筒の倉庫にて
  • 歴史 割薬を干す久野五郎
  • 歴史 彦根城築城390周年記念の枠仕掛け
  • 歴史 同上
    見事、点火に成功。
  • 歴史 建設中の1級火薬庫と高木利幸
  • 歴史 完成した新しい看板と高木政幸
  • 歴史 平成14年7月
    台風による水害で工場全体(写真中央)が、水没。
  • 歴史 同上
    水没した工場では、手漕ぎボートが活躍した。
  • 歴史 同上
    水没した工場の食堂。腰の上の高さまで水没した。